*NEW-NOTE*

2005年5月13日(金)
思考改革
2004年6月22日(火)
世界の中心で愛を叫..
2004年6月13日(日)
ちょっと隠居
2004年4月21日(水)
環境とキャラクター..
2004年2月6日(金)
対話―自己とそして..
思考改革
人間は変わるものだと思いますか?変わらないものだと思いますか?
変わる変われると簡単に口にする方もおられますが、
事はそう単純ではありません。
性格とは個を司るものであり、キャラクター、アイデンティティ
日本語に言い換えるとその人の特徴とか、その人だと判別するにたる材料を与えるものであるわけです。
この"判別する"という行為を我々がやっているのは人が変わらないからこそされる所作なのです。ころころ性格が変わるならばその人の特徴とはいえません

そういうわけで、人間はそうも簡単に変わることはできません。
ましてや自己啓発などで変わることはできません。
ニーチェは肉体には衝動が駆け巡り、そこから自我が成立し、そのシュミラークル(擬答)が思考として、あたかも肉体の優位にたっているかのような顔をしているという風に説きました。
こうした理論はクロソウスキーやドゥルーズが継承していくことになるのですが、そういう学問的な観点はとりあえず置いておきます
このシュミラークルというある種の結果、まぁここでは性格や観念ですね
人生観や恋愛観、平和観など全ての思考行為が包含されます
それらができるのは衝動のある平地まで降りなければならないということで
シュミラークルを取り除いた状態にすれば
新しいシュミラークルが立つ。つまり、かわれるということです

どうするかというと衝動のレベル。つまり思考の前段階的なところで感性を打つことです。芸術に触れたりするのが最もいいそうですが、思考以上のものにであう。人間では説明できないそれですね。人が人を好きになるという行為もそれに近い、というよりはそれといっていいでしょう。
衝動のベクトルの交差が恋愛であるといえます

これはあくまで根本的な人の変革をさしていますが
純粋なヘタレなんかは何度か自分に鞭打って押し出せば"慣れ"でなんとでもなります。これは擬答を打ち倒すような難しい真似はしなくてもいいです

「ここでやらなきゃ俺は死ぬ」

くらいに考えればやれます。それでやらないやつはほんとに死んだほうがいいと思います

総括としては
人が変わるのは簡単じゃないです。
上記に述べた通り、芸術や恋愛など色々、衝動に効用をきたすものはありますが、そうしたものは大体が故意ではなく、それが原因で"変えられる"わけであって
"変われる"わけではありません

断然効果は薄いにしても、意識改革でもするほうがまだよっぽど理想的だといえます。ただそれでも思考の根底は何もかわってないので、本当に変われるのは自分がその行為をした結果やその後がもたらす衝動への効用であると言えるでしょう

ただ自身が柔軟な思考をできる状態では敏感に外的な現象に反応できるので、より衝動への刺激は行われるように思われます
2005年5月13日(金) 


世界の中心で愛を叫ぶ
映画も見てなければ小説も読んでいません。
どこで愛を叫ぼうともどこで何を言おうとも
それは世界の中心です

では本題に
えーっとですね
人が何をしようとしても結局は自己満足なんですね
誰かのために何かをしてもそれは結局自分のためになるから
自分がそれが良いと思うからするんですよね

物理的な世界の存在は"あるとされていますが"
その様々な現象はあるとされているから有るのですね
つまりは、物理的現象があるということ自体
精神がそう認識しているから産出されたことであって
実際あるかないかは精神がそれを認識するかどうかにあるわけです
要するにIDEAでいったような精神に全て還元されるということなんですけども
例えば私たちの知らないところで宇宙人がいる と思うとする
これは私たちの知らないことなんだから
知っている世界以外の世界が存在していると、物理的な世界が存在していると
思っていると思いますが
それを存在たらしめているのはあくまで考える人自身のイメージなんですね
つまり存在していると考えることによって存在する
存在しないと考えることによって存在する
つまりそこに存在しているのはあくまであなた自身に与える
影響のみであるということですから
物理現象の存在は常に精神において思考されうるがために存在するのです

つまりは、世界の中心に常に自分がいるというのは事実そうなんです
常に世界はあなたを中心に回っている
というよりも世界はあなたしか回せないといったほうが適当ですね
例えば、何かをして叱られたとする。
それであなたがどういう行動に出るか
それが今後の世界の在り方を決めます
プラスに考えるかマイナスに考えるか、今後どういう振る舞いをするか
単に怒られたことにたいして、いらつくのと
もっともだと思って自分自身のどこを変えようとするであるとか
怒った人に対して自分のことを考えてくれているのだと思い
期待に応えようと考えるのとが大きく違うのはわかると思います

そうやって外部から内部にもたらされた事象に対して
どういう思考のスタンスをとるかが自分自身のあり方を決めている
相手が本当に自分のことを考えてくれているかどうか
それは大した問題ではありません。自分がそれをどう持っていくかということです
恋愛なんかは少し別なんですけどね
つまり世界っていうのは人一人一人に内在するものだと私は思います

そして私が人に感謝されるということは
少なからず私が感謝された人に対して人間として好意をもっているからだと
思います。自分のプラスになるからです
要するにもしも俺に礼を言いたい人がいるなら
俺が言いたいってことだー

あまりまとまってない話ですが
大体を汲み取ってもらえればそれでOKなのです
2004年6月22日(火) 


ちょっと隠居
日記等の更新はするかもしれませんが
基本的にインターネットから疎遠になろうとおもいます
充実した生活を送るために。

多分見てないんだろうけど
一応言っておきたいこと、といったらアレなんだけど
まぁ独り言みたいなものかな をかきます

今は眠いので三時間後に。

――――――――――――
前述することとして、俺がそれをどれだけ守っているかは知りません
多分自分にとって優先度の高い人にだけは考えてるんだと思います

視野を相手の立場にすること
もしも俺がお前の立場だったらむかつく。
ただ俺には確信がなく、自分なりの答えが見出せないままでいた
答えを導き出すのは常に行動または言動
人格をプレスして薄く長く引き延ばしたような
肉体を介在せずにとるコミュニケーションや自身のみの問答からは
その答えは決して生まれない
だから俺は自分のいったことも相手の気持ちも反古にする形をとった
結果それでよかったと思う。嫌悪感に陥ることもあるけれど

何度も何度も後ろを振り返る自分はあまり好きじゃない
情けないし女々しいし。まあ実際は女のが割り切るのはやいんだけど

まぁでも多くを考えることによってマイナスがプラスに転化することがある
というかどれもがプラスになる。自分の思考方法によっては。
自分の身の回りに起こった全ての出来事が
自分にとってプラスかマイナスかは自分がとるスタンスによって決まる
それは起こったことにも一応左右されるけど最終判断は自分が下せる
イニシアティブはこっちにあるわけでそうなったときに視野の広さが重要になる

幸せの始まりは悲しみの兆しである。幸せの終わりは悲しみの始まりである。
では悲しみの終わりは?そこには幸か不幸かであって、必ずしも幸せは来ない
人は自分の不幸にとても敏感であるから
立て続けの幸福には愚鈍なまでに感知しえず
不幸には敏感に感じ取り自己憐憫へと陥るような
それゆえに不幸の後にはまだ不幸へと落ちる道がある。
ただ、そこでもイニシアティブは自分にあることを忘れてはならない

あいつはもう二度と俺と会うということはないだろうから
俺が約束をまた反古にするというか(一方的なものだけど
要するに嘘をつく、か。事後的に嘘をつくことにならない限りは
あうことはない。相手を怒らせてまでそうする理由はないわけで
多分そうなる

思い出はいいものだけど、それを思い出したときに最後には必ず笑えない
だってあいつに不満しか残してやれなかったから
もうあうことがないから。
自分が説得できる立場にあるんだったら
それを不満にも満足にもできるということを教えることができるんだろうけど
俺はそれができるから後悔はしてない
でも、そのためにこれだけ考えることになる。

まあ前に進むかなーと
自分の中にあった希望を押しつぶしてやっと歩ける
希望は悪魔のように後ろ髪を引かせるからなぁ
つーかいつか忘れられると思っていても
忘れたくないとなんだか思ってしまうんだけど。

あと俺自身にもいえることだけど
すぐに好きなやつがいないとかいうやつがいる
まぁ作為的にもそういうのは当然作れる
作らないようにしてはそりゃ難しいけど
自分から異性に交流を持つようにすればそういう人は多くできるはず

つーか二ヶ月ねーじゃん笑
そういうわけでネットはあんま出没しませんわー
検索だの情報収集だのはするけど。
単位もやベーし笑
2004年6月13日(日) 


環境とキャラクターの変化と纏綿する人の心
性格とはある種のイメージで
自分が自分の内面像を全て把握できているわけでもなければ
他者が自分の内面像を全て把握してくれているわけでもない
こうしたことから全体像としての断面として外部に漏れているものを
飽くまでキャラクター、性格として我々は判断しているといえる。

環境においてポジションというものがあり、
それによって自分の位置付けが代わるということは行動が必ずしも一定ではない
癖として残るものを性格として位置付けているが
環境によっての行動の違いは明白であり
性格に優劣はつけることはできない

よってある面ではこうだが、ある面ではこうであるというような
人間像ができる。
こうした風に側面的にしか何事も判断され得てないわけであるが
そうした人間像を言葉で縛ること自体はかなり難しいものであると思う。

感情の纏綿にこそ妙味がある。
言葉で縛りきることの出来ない自由な空間
知は際限なく進歩を続け
体は再現なく退化を続け
どこまでも進化していく中でも
人間の感情のコントロールや最も適切な判断
公正な判断そうした万人的な解答を得られることは難しいだろう

環境に振る舞いを制限されるということは、つまり
窮屈であるということだし時にそれは性格の変化に繋がることもある
最も今の自分が振る舞いを制限されない空間に
一番安らぎを求めるんだろうと思います。

まぁ次回は何となく思い立ったので
恋愛と人生の関わりについて書きたいと思います

が企画倒れするかもしれないので期待なっしで
2004年4月21日(水) 


対話―自己とそして....
自分がここで後悔をしたら、そのために払った犠牲を
無かったことにしてしまうのだとお前はいう。
だから後悔しないのだと言うけれど、それは―――

いや、何も言うまい。
それでお前が正しいと思うなら、それで自分を信じることができるなら
俺は何も言わないし、とめることもしない。

こうやって黙っているということは
相手を尊重する以上に、きっと侮辱することになる。


でも、お前の場合は少し違う。俺の反論、それ以上に
お前の行いは優れている。誰の目からみても。
そこにお前がその役割を担わなければいけない理由はないというのに、
それでもお前はそうし続けるのか。
それは"お前"である必要はない。
代替可能な役割を、苦しくも凄惨であり、普通に生きていたならば
見なくても良いものを見ることになる役割を、
そうやって今までもお前はいくつもの悲劇を見てきたというのに。
それでもお前は―――

いや、これは愚問なんだろう
お前はわかっているんだろうな、きっと。
全てを理解しているんだろう。
俺が言おうとしていることも、何もかもを。

その上で、後悔しないと言っているんだろう。
お前のその決意、高く遠く、そしてそれは果てしなく。
人の「信念」「夢」「愛情」時に、全ては揺ぎ無いものだと人は言う。
しかしそれは決して揺ぎ無いものではない。
全ては人という揺らぎから生み出されたものであるから。
それは自分が揺らいでいるがゆえに、
同じように揺らぐものを静止しているように錯覚するかの如く。

それからもう一つ。
今、お前は幸せだと言っていた。
幸せからは転落しかない。出会いからは別れしかなく、
生からは死しかないように
天秤で量りにかけることのできないそれは、既に「死んでいる」
それを理解した上で、お前はその幸福を喜ぶのか。
誰かは俺にこう言っていた。
「最初から別れを考えたくない。そうするくらいなら出会いたくない」と
それは誰しも当然の意見。至極真っ当なそれだ。
でもそれは――――

現実を否定している。生きながらにして、夢の中にいたいんだろう。
現実とは本来、直視できぬほどに、おどろおどろしく、混沌としていて
黒く、汚く、悪がはびこっている。そこにある者は、死を筆頭とした
負の感情。その中でお前たちは

善を求め、
美を賛美し、
幸に感動し、
喜に涙し、
そして義を振りかざす。
お前たちは、絶望を感じたときにのみ、現実を生きる。

厚い皮を被って、そうやって愚鈍に生きる。
その中での聖性、お前の信念。そんなものは無価値ではないのか。
現実を見ず、夢を見ているのか。
はたまた、それとは違ったものを見ているのか。
俺にはわかりはしないが
現実を直視しない生き方に何が―――――。

「―――――」

いや、違うのか。お前たちの生き方こそが現実なのかもしれないな。
「死んでいる」と俺は決め付けていた。
お前たちはその「死」さえも秤にかけて
「生」を見出そうとする。
そうやって、常に何かを見出し、創作し、発見していくこと。
それこそが現実を直視するということの本来の意味。
本来の現実とは
死や別れや転落や、悲しみや苦しみや絶望を直視し、
その上で、夢を生きる。
希望を見出し、決定された未来までの過程で何ができるか。
もしかしたらそれは決定されていないのかもしれない。
少なくともお前は、現実を知った上で夢を生きているから
そんな馬鹿げた道を進めるんだ。
お前はお前の世界を生きて、
決定されたものすら覆すことを厭わないんだろう。
お前ならできる気がする。揺らぎから磐石の地位へと
確固たる信念とは何なのか、見届けさせてもらおう。
2004年2月6日(金) 


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