人間は変わるものだと思いますか?変わらないものだと思いますか? 変わる変われると簡単に口にする方もおられますが、 事はそう単純ではありません。 性格とは個を司るものであり、キャラクター、アイデンティティ 日本語に言い換えるとその人の特徴とか、その人だと判別するにたる材料を与えるものであるわけです。 この"判別する"という行為を我々がやっているのは人が変わらないからこそされる所作なのです。ころころ性格が変わるならばその人の特徴とはいえません
そういうわけで、人間はそうも簡単に変わることはできません。 ましてや自己啓発などで変わることはできません。 ニーチェは肉体には衝動が駆け巡り、そこから自我が成立し、そのシュミラークル(擬答)が思考として、あたかも肉体の優位にたっているかのような顔をしているという風に説きました。 こうした理論はクロソウスキーやドゥルーズが継承していくことになるのですが、そういう学問的な観点はとりあえず置いておきます このシュミラークルというある種の結果、まぁここでは性格や観念ですね 人生観や恋愛観、平和観など全ての思考行為が包含されます それらができるのは衝動のある平地まで降りなければならないということで シュミラークルを取り除いた状態にすれば 新しいシュミラークルが立つ。つまり、かわれるということです
どうするかというと衝動のレベル。つまり思考の前段階的なところで感性を打つことです。芸術に触れたりするのが最もいいそうですが、思考以上のものにであう。人間では説明できないそれですね。人が人を好きになるという行為もそれに近い、というよりはそれといっていいでしょう。 衝動のベクトルの交差が恋愛であるといえます
これはあくまで根本的な人の変革をさしていますが 純粋なヘタレなんかは何度か自分に鞭打って押し出せば"慣れ"でなんとでもなります。これは擬答を打ち倒すような難しい真似はしなくてもいいです
「ここでやらなきゃ俺は死ぬ」
くらいに考えればやれます。それでやらないやつはほんとに死んだほうがいいと思います
総括としては 人が変わるのは簡単じゃないです。 上記に述べた通り、芸術や恋愛など色々、衝動に効用をきたすものはありますが、そうしたものは大体が故意ではなく、それが原因で"変えられる"わけであって "変われる"わけではありません
断然効果は薄いにしても、意識改革でもするほうがまだよっぽど理想的だといえます。ただそれでも思考の根底は何もかわってないので、本当に変われるのは自分がその行為をした結果やその後がもたらす衝動への効用であると言えるでしょう
ただ自身が柔軟な思考をできる状態では敏感に外的な現象に反応できるので、より衝動への刺激は行われるように思われます
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2005年5月13日(金)
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