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 雷光が迸り、轟音となって天地を揺るがす。幾星霜もの時を経て、大勢の人が最期を迎える。中央で雲に乗り、後光の差す一人の男が右手を高く掲げている。周囲の衆人はその男の、一挙手一投足を瞠目して見ている。期待に満ちている者。乞うように見る者。慈愛に満ちた眼差しをしている者。また敬虔な表情を浮かべている者と様々であるが、誰もが一つの答えを待っていた。雲に乗るもの、小船に乗るもの。狭い空間を争うように、また助けるように。その行為は男の出した答えに沿うものなのか、それともその答えにはそぐわないものなのか。それはわからない。しかし大衆は中央の男の答えを待てずに各々が行動に移っている。そんな中、雲に乗るものの中に蛇に体躯を絡めとられている男がいる。その男は片目を塞ぐようにしてその苦しみに耐えている。蛇に絡めとられるだけでなく、角の生えた男に足を捕まれ、黒ずんだ体をしている男に下半身を抱えられている。その者は中央の男の答えを待たずして、地獄へと誘われるのであろう。

「静人、何やってんの」

 由花に声をかけられて俺の集中力は途切れた。俺は持っていた筆とパレットを絨毯の上において、椅子に座りなおした。

「見りゃわかるだろ」

 俺の眼前には先ほどまで描いていた色使いの明るい油絵が広がっていた。

「油絵ねぇ」

 由花は私には理解できないわ、という表情をして、小さく嘆息する。

「お前はお嬢様なのに絵心がわからないやつだなぁ。俺の大作だぞ。一人の男の判断で世界の命運が分かたれる。何ていうか、こうグッと来るもんがないか?」

 俺の熱弁にもふうん、とかへぇとか淡白な反応しか示さずに由花は踵を翻して、俺の部屋から出て行った。三倉由花は俺が厄介になっている、三倉家の跡取り娘である。俺の母は小さい頃に出て行き、父は11年前に死んだ。父は親交が深く、金銭的にも裕福な三倉家にご厄介になるように生前に差配していたようで、連絡を取れとだけ言い残して死んでいった。なけなしの金で開いた葬式の時に声をかけられて、即日で俺なんかを受け入れてもらって三倉のおじさんには感謝している。

「ああ、そうだ。静人さ」

「ん」一度部屋をでた由花がひょっこりドアの隙間から顔をのぞかせている。

「明日なんか予定ある?」

「どうした、何かあるのか?」

「それは私が聞いてるの。静人が答えてくれたら私も答えるわ」

 女が考えてることはよくわからないな、と思ったがここで逡巡していても由花が譲るわけがないので

「俺の絵を見たい、っていう人がいるらしくって、明日ブローカーの人と会うことになってるけど」

 と正直に言った。

「あー、じゃあいいわ」

 由花はそういうとドアを勢いよく閉めていった。俺がすぐさま立ち上がって

「え、なんだよ。おい、約束守れよ」とだけ叫ぶと

「私、お父さんのとこいってくる」と大声が返ってきた。

由花の父、厳真さんは俺を引き取って一年もした頃に寝たきりになってしまった。幸い、金銭的には問題がない。厳真さんは植物状態であるらしく、最初は病院で治療をしていたものの、一年もしてからは離れにある自室に世話役の看護人を一人おいているだけだ。主治医には定期的に検診をしてもらったり、薬の投与をしてもらったりしているようだが。原因はよく知らないし、訊こうとは思わない。

 俺は一応、芸術家の端くれだ。しかし、そういう世界で成功するということは当然難しく、生計を立てれるような人気もない。とりあえずは屋敷で絵描きとして雇ってもらうという形になっている。事実上は穀潰しの俺にとって明日のような機会を逃すわけにはいかないのだ。由花が言いたいことを言わなかったのは多分そのせいだと思う。バカなやつだ。ただ厳真さんは俺の絵を偉く気に入ってくれている。

 窓から外を見ると、上弦の月が煌々と夜を照らしていた。時の経つ間も忘れて没頭していたようで、今日はもう寝ようと布団に入った。

 

 ―――暗くそして(くら)い。辺り一面黒に覆われている。自分の眼は開いているのか、それとも閉じているのか。五感の中で機能しているのは聴覚だけ。自分が今どこにいて、何をしているのかわからない。聴こえるのは異様な喧騒。話し声、呻き声、叫び声、笑い声、そして獣的な唸りと鳴声。多くの音が混交していて、距離感やその音を発するものが何なのか全くわからない。ただ、その中で明確に聴こえてきた言葉があった。

「どんな手を使ってでも探せ、探し出して殺せ―――」と。

 

 体を起こすと背中に嫌な汗を掻いていた。どれだけ夢の中にいたんだろう、と考えてみる。十分であったかもしれないし、一時間であったかもしれない。起きる八分前のことしか覚えていないというのが通説であるが。

 俺は服を着替えて、部屋を出た。リビングに行く途中に洗濯機に寝巻きを放り込んでおいた。リビングの戸を開けると、味噌汁の香りがした。

「おはよう」

「あー、おはよう」と生返事を返す

「どうしたの。今日はいつにも増して元気ないじゃん」

「変な夢見ちまって身体が気だるいんだよ。今日は一日中寝ちまおうかな」

 呆れた顔をして

「今日”も”でしょ」と語気を強めて揶揄をする。

「それに今日は用があるんでしょ」

 そうつけたして由花は笑った。 俺は昨日のことを訊こうかと思ったがやめておいた。

「まぁ、そんなことはどうでもいいから、さっさと朝ご飯食べちゃいなよ」

「わかりましたよ」

 呟いて、テーブルを見遣る。卵焼きとご飯と味噌汁にたくわんが並べられている。ここに来て、厳真さんが寝たきりになって、由花と俺はほとんど二人で暮らしている。最初の頃は家政婦の一人や二人を雇っていたのだけれど、ここ数年はそんなこともなくなった。だから当然、家事は二人で分担することになる―何より、俺は居候なのだから―。それも便宜上だけれど。

「ぼーっと突っ立ってないで、さっさと食べる」

 了解、と返事をして、卓についた。由花はお嬢様だけれど料理は上手い。といっても十年もすれば当然上手くもなるか。

「ていうか、静人。あんた家事全然やってないでしょ。洗濯物もご飯も掃除も全部わたしじゃないの」

 と由花は箸で俺を指すような仕草をする。

「ゴミ出ししてるじゃないか」

「それだけでしょ」

 微かな抵抗を試みるも空しく―当然と言えば当然―言い返す言葉がなかった。

「まぁ、最初からわかってたことだし、別にいいけどね」

 俺は少し由花を見直した。由花は正直言って可愛い。頭も良いし、大学では人気があるらしい―俺は大学に言ってないわけで本人の言っていることしかわからない―。料理も上手いし、性格は……。とにかく魅力ある女性であることは間違いない。そんな人と一つ屋根の下に暮らしているのに、そういう気は起こらない。長く居すぎたからか、よくわからない。

「何みてんのよ」

 少し頬を赤らめてぶっきらぼうに言を為す。もしかして、照れてる?

「そんなことないんだから」

 そう呟いて、由花はテレビのスイッチを入れた。

 

――今日未明、京都府山科区の木田さん宅で刺殺体が見つかりました。被害者は木田滋夫(しげお)さん(24)。別室で寝ていた妻の泰子さん(23)が、朝、起こしに行ったところ、布団で血まみれになった滋夫さんが見つかり、首と胸、足などに渡って数十箇所の切り傷、刺し傷があることから、出血多量で死亡したものと見られています。警察は他殺と見て、捜査に乗り出す方針です。今月に入ってこの手の事件は六件、先月と合わせると二七件に及ぶことから警察も警戒を呼びかけています。つづいて、

 

 険しい顔つきをして食い入るようにテレビを見入る由花。

「この手の事件って?」と俺が尋ねると

「あんた、そんなことも知らないの?最近多いのよ。朝、起こしに行ったら死んでるっていうケースがさ。しかも、死因が心臓発作もあるけど、それだけじゃなくって撲殺されてたり、さっきのニュースみたいに刺殺されてたり。死因が様々なのよ」

「それはただの他殺じゃないのか」

「さあ、そんなことまで知らないわよ。でも普通に考えたらおかしいじゃない。それに犯行のあった現場は、東京、京都、北海道とか色々なのよ。同一犯の犯行はない、って報道されてたわ」

「明日朝起こしにいったら俺死んでたりしてな」

 最初は呆れた表情をしていた由花も話すに連れて、次第に険しさを帯びて心配な顔つきをしている。

「そんな不安なら、今日から一緒に寝るか?」と笑っていると

「私を呆れさすようなバカいってる暇があったらさっさと片付けて。私は大学に行くわ」

 少し気分を損ねてしまったようだ。由花は手早く、食器を片付けてシンクにおいて水につけると颯爽と出ていってしまった。

「いってきます」

 相変わらず早い。俺はしばらく一考して 

「俺も行くかな」

 と屋敷を後にした。俺は胸騒ぎを感じていた。

 

――数時間後

百年以上の歴史を持つ都内の某T女子大学の校門前。そこに分不相応な服装にサングラスを付けた男が一人。荘厳な入り口はいかにもといった風で来る者を選ぶ威圧感がある。この門とはいい難い建造物を背もたれに腕を組んで数十分。そろそろいい頃合だ。寒くも暑くもない季節。木々が色づきはじめる秋口だった。一陣の風が頬を軽く撫でながら通り過ぎていく。俺は招かれざる者といった雰囲気を隠しえずに通行人−概して生徒−に一瞥を投げかけられる。いぶかしんで、見てはいけないものを見たようにすぐに目をそらす。そして、友人らと小声で話す。そんなことが何度も繰り返され、数分前からは警備員がこちらを凝視している。怪訝な表情を浮かべ、何か動きを見せればすぐに飛び出してきそうな勢いすらある。俺は心の中ではやく来てくれ、と祈った。それは誰へともなく向けられた祈りだ。そんな折、聞き覚えのある声。むしろ聞き飽きた。

「へー、そうなんだ。でもさ」

 今時の話題にはついていけないものがある。話題の内容は携帯電話か何かだろうか

「おい、由花」

 やっとこの状態から解放されるという安堵感からか咄嗟に言葉が口をついて出た。

――刹那

 時が止まった。肩を大仰に振るわせた由花はこちらを一瞥した後、少し逡巡して

――あ

 二人の声が重なった。ここで話し掛けるのはまずかったかな。と俺。なんでこんなところにいるの? と迷惑そうに由花。由花の友達であろう隣にいる子は苦笑して、「私、先帰ったほうがいい?」という目を向けている。

「ごめん、今日一緒に帰れないみたい」

由花は大きな嘆息をした。申し訳なさそうに別れの挨拶を簡単に済ませたあと、早足で駆け寄ってきた由花は俺の腕を力一杯引っ張って皆が帰る方とは逆の方向へと進みだした。

「何でこんなところにいるのよ」

 第一声はそれだった。

「怒ってる?」

 当たり前よ。といった憮然とした態度で明後日の方向を向いた。でもその顔には心なしかいつもより覇気が見られなかった。

「いい友達をもってるな。何より空気を読むのが早い」

 俺はうんうんと頷きながらも腕を引っ張られる。由花は大きく溜息を吐いた。

「さっさとその変なもの外しなさいよ」

 サングラスはやっぱり駄目か。ここに来る前に大学最寄の駅前商店街の一角の雑貨屋で調達してきたのだ。それが、不釣合いな場所に行く精一杯の格好だった。俺はサングラスのフレームを右手の人差し指と親指でつかみ、少し顔を右に傾けて外した。

 

 右へ左へとしばらく歩いたあと、由花は立ち止まり、《Angel Cafe》なんていう今時流行りそうにない看板を掲げた喫茶店のドアに手をかけた。軽快なテンポのジャズに店員のいらっしゃいませ、という声が乗る。由花の拘束から逃れた俺は一番奥のコーナーに席を陣取った。窓際で外も見渡せ、入り口も見えるいい場所だ。雰囲気は悪くないというよりむしろ良い。シックな造りの店内はコーヒーの香りで満たされている。やはり由花のセンスは悪くない。喫煙者はどこでもやはり追いやられているらしく全席禁煙指定となっていた。俺は煙草を吸わない人間なので問題ないのだが。

「静人、何飲む?」

 由花は羽織っていたカーディガンを丁寧に折りたたんで脇に置く。それにならって俺も腰をかけた。

 別段コーヒーの味がわかるわけでもない。メニューには「自家焙煎−当店では良質な生豆と適切な焙煎を施したコーヒー豆を使用しており」云々と書いてあるがよくわからなかった。

「んー。何でもいいよ」

 由花はなれた風にウェイトレスを呼んでアメリカン二つ、と注文をした。

 由花はこちらに向き直って先ほどまでとは打って変わって真摯な顔を向けた。

「で、静人どうしてうちの大学まできたの?」

 その言に詰問するような語勢は見られない。

「まぁ、何となくなんだけどさ。どっちにしろ、来てよかったよ」

 そう俺はわざわざここまで足を運んだ甲斐はあった。多分それは今、由花が抱える不安と同じもの。

「どういうこと? それに今日、仕事の予定あったんでしょ」

「あれは先方に電話して遅らせてもらったよ。また今度だ」

 それは嘘だった。屋敷を出たあと、俺はブローカーに連絡を入れた。

 

―――――――◇◇◇――――――◇◇◇――――――

 

「すいません、神楽です。今日は急な所用が入ってしまっていけなくなってしまったのですが、どうにか紹介の方の日付をご変更していただけないでしょうか?」

 彼はううむ、と唸った。

「申し訳ございませんが、先方も暇な方ではないのです」

「そうですか」

 もう決めてしまったことだ仕方がない。これは単に予感でしかない。やっと認めてもらえるかもしれない機会(チャンス)。でもそれよりもこの胸騒ぎが後悔にかわることを恐れた。十一年前のあのときのように。

「今日を逃すとこの話は白紙に戻りますがよろしいでしょうか?」

「すいません。本当に今日は外せない用が入ってしまったので。お手数かけました。また機会があったらよろしくお願い致します」

―――――――◇◇◇――――――◇◇◇――――――

 

「静人。ねぇ、聞いてる?」

「――ん。あぁ」

 どうやら考え込んでしまったようで俺は生返事を返した。いつのまにかコーヒーも来ている。俺の予感はあたっていた。今度は俺が訊く番だ。俺は由花、と名前を呼んだ。

「な、何よ」

「俺に何か言うことないか?」

 多分昨日言おうとしたことだろう。

「う……」

「黙ってたらわからない。もう一度訊く。俺に何か相談したいことないのか?」

 由花は観念したといった風に嘆息してかぶりをニ、三度ふった。

「静人昔からそういう勘いいよね。今日大学まで来たのもそのせいだよね。まぁそのお陰で助かっているんだけどね〜」

 由花はそういいながらも優しい微笑をたたえている。

「何かさ、昨日相談しようと思ってたんだけど。静人が夢に向かっているっていうか、頑張ってるのみてさ。何とかできそうなら私も自分で何とかしようかなって思ったんだけどね。結局頼ることになっちゃうね」

「いいよ、そんなの。俺のほうがもっと世話なってるし、俺としても返せるところで借りは返しておきたいんだ」

「ありがと。そういってくれると気が楽になる。それでね……。」

 そういって由花はその先を噤む。双眸にはこれ以上訊くと巻き込まれるよ、という警告の色を宿していた。俺はそんなことを意に介さずに

「どうして尾けられているか理由はわかっているのか?」

「え……、気づいてたの?」

 と由花は瞠目する。サングラスを外した俺の視界の隅に映った人影。そのあと、その気配に神経を研ぎ澄ませて注視していた。確実につけている。そう判断した上での質問だった。

「理由はわからない。でも、私一人じゃどうにもならないと思う。何より私を尾けているのは一人じゃないわ」

 由花は多少、合気道などの護身術には心得がある。厳真さんに幼少より叩き込まれていたようで、友達のストーカーを一蹴したこともあるそうだ。

「どれくらい前からだ?」

 この段階での警察の介入はまず期待できない。この段階で警察ができることといったら警告のみ。それも相手が複数となると益々それは望めない。

「わからない。気づいたのが昨日なの」

 その表情にはいつもの由花からは想像できないような怯えの色が看取できた。

「つけているのが一人じゃないっていうのはどういうことだ?」

「昨日の朝、学校に行く前に不意に物音がして後ろを向いたときに視界の片隅に黒いスーツの男が映ったわ。今まで気づかなかったのがおかしいくらいに視線がひしひしと伝わってきた。それは一日中ずっと。帰りにウィンドウショッピングをしているふりをしてガラスに反射した人影は朝とは別の人だった。わざとじゃないかっていうくらいそのときも突き刺すような視線が伝わってきた」

語る由花の語気は抑揚がなく、その唇は震えていた。

「つけられるような心当たりは?」

「あるわけないわよ……・」

 由花は冷えきった心を暖めるようにコーヒーを啜る。俺はしばらく静思した。

「よし、決めた」

 そういってコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がる。

「訊くしかない」

 俺のその科白をきいて由花は俺が何をしようとしたのか察したようだった。俺も格闘技に関して全くの素人というわけではない。

「やめなよ!」

 机を勢いよく叩いて、立ち上がる。その声は本人も予想しなかったほど大きかったらしい。周りの客がこちらを凝視している。由花もはっ、とした顔をして声をひそめた。

「ねぇ、何かあったらどうするの?」

「お前に何かあってからよりはいいと思うけど」

 夜にこのときのことを考えたのだが、よくもまぁ、惜しげもなく臭い科白が口をついて出た。多分、俺が女だったら惚れてるな、と苦笑した。




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