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「つまり、ある一定の深度の睡眠を保つことによって《アイオライト》に行くことができる。まぁ、これは一種の明晰夢とでもいうのか、自分自身が完全に意識していないとダメなんだけれどね。アイオライトはそういう意識とかイメージから構成されてる部分が大きいんだ。」

 と、よくわからないことを目の前で語るのはリンクス・アーチャーと名乗った男だった。つやの良い明るいブラウンの髪。鼻は高く筋が通っている。双眸は青く全てを見透かすような深い色を灯している。低いながらも通る声を出している彼は背も高い。リンクスと出会ったのはあの喫茶店から出た後だった。

―――――◇◇◇――――――◇◇◇――――――

 あのあと俺は外に出ると、由花をつけていた男を詰問した。関係ないだろうと静かにそれでいて感情のこもった言を為したその男は言うが早いか懐に手を伸ばしていた。俺は即座に後ろに跳躍する。数瞬前まで俺がいた場所には一閃がはしっていた。状況を理解した俺の背に戦慄が走る。予期していた範疇。なのに、予測しきれていなかった。予測と実践は違う。その事実を一瞬にして知ることとなった。

 男は何の躊躇もなく、俺の首へとその刃を向けてきた。

「――あ」

 俺の頬から鮮血が散る。咄嗟にかわそうとするも頬を掠めた。由花は喫茶店を出たところで震えて立ち竦んでいる。俺は男と距離を取りながら深く呼吸をした。覚悟は決めた。男が袈裟にナイフを振るってくる。距離を取る。

「何なんだよ、お前」

即座に回り込み怒号と共に身体に力をこめて渾身の一発を右腕から繰り出す。その一発は男の振り下ろされた腕の隙間を縫うようにしてわき腹を突き刺した。俺の一撃に打たれた男は小気味のよい音を鳴らし、うめきくずおれた。動悸が激しい。息を切らし、緊張感が途切れた。脳は酸素と安堵を求める。由花が声にならない声をあげる。俺が振り返った眼前に迫るもう一人の敵。油断した――。

そう思考した次の瞬間、男は俺の足元に転がっていた。

「さぁ、ここにいるとまずい。通報もされているようだし逃げようか」

 正気を取り戻した俺にそう声をかけ、いきなり現れた外国人は由花を連れて疾走した。



――――――◇◇◇――――――◇◇◇――――――


「で、その《アイオライト》ってのはつまり何なんだ?」

 俺たちは一室の中央におかれたテーブルを囲んでいた。

「簡略化して言うならば夢の国ってところかな。といっても現実世界同様、混沌としているがね。残念だが君たちはもう巻き込まれてしまっている。特に彼女はもうのっぴきならない状況に立たされているだろうね」

 僕も事態を把握しきれているわけじゃないが、と付け足したリンクスの横で由花は俯き、小刻みに震えていた。俺はまだ事態を一割ほども理解できていなかった。その後、説明を聞いて少しだけ理解できた。現実世界とは別に《アイオライト》という世界が存在する。その世界は人間の眠り状態の時に行くことができる。行くには条件があって、しっかりと自身を意識した状態でなければいけないらしい。いわゆる明晰夢。そしてその世界を信じる意志こそが《アイオライト》を開く扉なのだという。そしてその世界で今最も権力を持つ一人が由花の命をなぜか狙っているのだと。奴らは何か目的を持っているらしく、そのためには手段も選ばない。そのことは今日一日で身をもって体験した。奴らは狂っている。あのあと、俺はリンクスについて彼の住処にきた。狭い路地を抜けた先にあるアパートの一室だ。どういう道をたどったかは入り組んでいてわからなかった。

「僕は今から《アイオライト》に行く。由花ちゃんは連れて行くことになるが神楽はどうする?」

 リンクスの声にハッとして面を上げる。由花を見るとまだ俯いていた。無理もない。

「その前にちょっといいか?」

 リンクスはああ、と頷くと立ち上がって「ちょっと夜風に当たってくるよ」と出て行った。俺は深い溜息をついた。今日の朝までの平穏無事な日々が遠い日のように思われた。

「なんか、わけがわからないな」

「私はどうすればいいんだろ」

 由花も事態を理解しきれていないんだろう。俺は他人事だと思っていた事柄が、日常の些細なことの裏側に常に潜んでいるということを身を持って痛感した。突然そういった事態に直面して覚悟を決めることもできないままに決意を求められている。よしんば、覚悟を決めたとしても頭で考えるのと実際直面することは違う。由花は命を狙われている。不安でないはずがなかった。

「さぁ由花がどうすればいいかなんて俺にもわからないな。」

「……そう、だよね」

 唇は震えている。紡ぎだされる声もそれに倣っていつもの由花とはほど遠い、霞んだ音を漏らしていた。

「でもさ、わからないんなら何もしなきゃいいんじゃないか?」

 え、と目頭に雫を溜めた由花が顔をあげた。人は前に進むことしかできない。戻ることはできない。何かしら得るものを得て失うものを失う。何もしなくても時は刻み、進んでいく。覚悟が決められなくても事態は進行していく。じゃあ、覚悟を決められない人はどうすればいい?

「俺はその場に留まればいいと思う」

 確かに時間は過ぎていく。その中でも何かを少しずつ失って、何かを得るものがあると思う。少しずつ、少しずつ何かを得ながら答えが出るまで考えればいいと思う。答えが出ないまま動くんじゃ失うものが多すぎる。

「だから今は何もしなくていいよ。いつもの由花に戻れるまでそのままでいろ。何かあったら俺が何とかしてやる」

 由花は目を袖で拭い、数時間ぶりに口元を綻ばせた。

「わかった」

 と一言だけ頷いた。

ドアを開ける音がして機を見たようにリンクスは帰ってきた。覗いてたんじゃないか?と表情を伺うが何ら変化は見られなかった。

「さて、行くとしますか」

 リンクスはお前はどうするんだ、という風にこちらに目を向ける。

俺は迷いなく、

「俺も連れていってくれ」

 と告げた。だが実際、行けるか不安だった。睡眠を通して別世界へ行く。いつも睡眠をしていてもそんな世界にいったことはない。

「安心しろ。いつも見ている《夢》それこそが《アイオライト》だ。それを《アイオライト》として意識できるかどうか、ただそれだけのことだ。この話を聞いたお前は間違いなくいけるよ」

 つまり、この話を聞いた時にもうのっぴきならない状態になっていたのは俺も同じだということか。俺は今日から当分眠りのない生活を送るのだろう。

そう思って目を閉じた――。


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